2020年夏期に摂取したもの
今期の新規摂取物
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< 2020年春期


「あの映画ちょっとよくなかったな」「あそこでああなるのはおかしい」そういう話の方が盛り上がりやすいということってあるよな。
逆に、高尚であったり出来が良かったりすると自分は過不足なく受け取ることができただろうかとぐらついたり、下手なこと言えないぞと慎重になってしまったり、がっつりハマった作品について自分の乏しい国語力でああだこうだと書き連ねた結果できあがったものの不出来さや不足感にガッカリしてしまったりしていると、その果てに「ぜんぶよかった」「いっぱいしゅき」程度のふわっとした一言二言の方が不足の少ない何倍もマシな感想であるのではと思ってしまうこともしばしば。

自分が確かに感じたはずなのに言葉でうまく表現できない良し悪しをなんとか記録しようと今期も試行錯誤する。
(割と頻繁に諦めて「ぜんぶよかった」みたいになる)

7月~9月に観た読んだものの記録です。

すいはん (suihan742)が見たアニメ | Annict


今期

ガンダムビルドダイバーズRe:RISE 2nd Season

驚愕する出来の良さだった。
ストーリーも演出もキレッキレだった。

ビルドシリーズでありながらアナザーシリーズ的でもある、要するに「昔夕方によくやってた何故か玩具に世界の存亡とか人の生命とか掛かっちゃうホビーアニメ」なのだが、そこに主要人物それぞれの挫折と再生がこれでもかというほどしっかり描かれていて人間ドラマもやたら完成度が高い。

毎話見どころが多すぎて、というか(後半はとくに)毎週ほとんど見どころだけが20分間叩きつけられ続けるみたいな勢いだったので、内容についてはここで何を書いても絶対的に不足してしまう。困った。困ったので書かないことにした。

どうしたって生きていくんだよなあ。

ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld

主人公TUEEEEEして周りの女達がトゥンクするのを見て楽しむシリーズだと思っているので、まぁ主人公が復活してTUEEEEしてくれたのでよかったです。
いいシーンというかずるいシーンは幾つかあるのだけど、ちょっとくどすぎないかな……みたいな気持ちにはなってしまった。ユージオとかユウキとか。
設定やシチュエーションに面白かったところは結構あるのだけど、大部分を占めていた戦争部分は正直そんなに面白くなかったかなあ。

デカダンス

一話で「割と何度も見たような気がする王道っぽいやつだ。でもこういうの面白いことには面白いから惰性で観るやつだ」とかまんまと騙されて二話で驚くやつ。面白かった。

フルーツバスケット 2nd Season

基本的に少女漫画は守備範囲外なのだが、こうしてたまに良いなと思うのもある。先入観を捨てて色々触れてみたら意外とハマったりするのかもしれない。

メジャーセカンド 第2シリーズ

小学生編よりもやたら画が良くなってた。

高校以降も本当に大吾で続くのか……? と心配になった。「親父の焼き直しではない」二世の話だからそうなるのは当然なのかもしれないけど、ノゴローのようないかにも主人公らしい魅力の多くは大吾ではそのまま描写されず、かといって別ベクトルの主人公感もこれと言って新しく発掘されていない感じがする上「親のようには特別ではなかった凡才の二世の苦悩」は第1シリーズの小学編で割と描かれ切ってしまった感もある。
女子メイン延々とやるならむしろ姉を主人公にすればいいのに、とか。


今期じゃない

赤髪の白雪姫 2ndシーズン

ゼン王子がかっこよすぎてずるいんだよな。こんなんそりゃ惚れるわ。
2期では白雪とゼンがイチャイチャしたりメンタルお化けしてたりするばかりじゃなくて、周りの特にラジ王子やオビが目立っていてよかった。
それはそれとして、白雪の攫われっぷりというか、本人に落ち度が全くないのにしばしば酷い目に遭いかけては気丈さを発揮するくだりがなんか毎度鮮やかだなって思った。よく考えたらフルーツバスケットなんかもそうだけど主要人物が「オチの見えるような分かりやすい愚かな行動をとって案の定酷いことになる」やつ(覚えている限り)一切やらないんだよな。そこがいい。

あした世界が終わるとしても

完全版「ソウタイセカイ」。短編アニメのときから核としている設定部分はまぁいいんだけど、それ以外は薄い。
必ずしも物語が何かを訴えてくる必要はないとは思うが、それならそれでエンターテインメントに徹するとか「おれの考えた設定面白いだろ!!!1」って熱量でボコボコにぶん殴られたい。
ナレーションで大事な設定だいたい説明しちゃうところでなんか笑ってしまった。

ブレイクブレイド (TV版)

映像はいい。デルフィングは設定も浪漫があってかっこいい。概ねそれだけだったのが残念。
話には惹き込まれなかった。短尺と戦記ものが合わさった結果なのか知らないが、状況も人物もイマイチしっかり描かれず、盛り上がる演出も特に無くただ淡々と消費された感がある。

ブレンパワード

頭オーガニック的な何かになった。
すっぽんぽんの女の人たちがふわふわ飛んでるOPが始まったときは何かやべぇもん観始めてしまったなと思った。

プロメア

当時「またこういうのね」と思って見送ったけど、今回観てみたらやっぱり「またこういうのね」という具合だった。

老人Z

お婆さんの人格を再現した介護ベッドが大仏を取り込んで復活するオチがひどくて笑った。

ログ・ホライズン (第1シリーズ)

この手の物語の、異世界での生活を成り立たせていく過程みたいな部分が結構好き。グリムガルとかこのすばとか。ログホラも主人公が計略を巡らせて円卓会議を結成する過程とか初心者組の奮闘とか好物だった。
説明台詞が多くてムズっとするところはあった。

現実のゲーム企業もそろそろプレイヤーが取り込まれるネトゲを作るべき。


映画

氷菓

古典部はとても好きなシリーズなのだけど、実写化でアレするいつもの法則を抜きにしたってこのエピソードを実写でやったら絶対微妙だろ……みたいな感じで怖いもの見たさ10割で観た結果、想定以上に(色んな意味で)怖い画が観られてしまって泣いた。

千反田邸からの帰り道に伊原がいるせいで奉太郎と里志のやりとりが改変されて大事な部分が無くなってしまったのが致命的に駄目だった。「氷菓」の話だけだとそうでもしないと伊原の存在意義がほぼ無いのでしょうがないのかもしれないが、代わりに里志が何も面倒なものを抱えていないただのウザい奴でしかなくなってしまった。
キャストが合う合わないという点は頑張って無視しても、主要人物たちの解釈のおかしさ薄さ足りなさ或いは明快さはちょっと許容できなかった。


ゲーム

20XX

岩男X……! 岩男Xじゃないか!!
オマージュ元への熱い愛を感じた。ただのコピーというわけではなく独自要素もうまくハマっており、ゲーム内容は何なら元ネタより面白くなっているかもしれない。

プレイキャラはエックス(青い、バスター主体)とゼロ(赤い、セイバー主体)っぽい奴らだが、BGMや画面の雰囲気はXよりむしろ無印岩男っぽい印象を受けた。
ちなみにキャラに依らず脚部パーツ装着で「(1秒or2秒)ホバリング」「二段ジャンプ」「(8方向)エアダッシュ」の内どれかひとつができるようになるので、「セイバー振り回す赤い奴がホバリング移動してる」みたいなある意味違和感ある画が見られる。

「8ステージのボスをぶっ倒して武器をパクって周る、最後にワイリーステージみたいなのがある」という流れは同じだが、自機の強化や使用武器のカスタマイズ要素がより重要になっており、うまくやらないと終盤ステージがクソつらくなる。
ステージはプレイごとにランダム生成され後の方ほど(極端に)難しくなるので、配置の傾向は一応あるとはいえ死に覚えもできないので結構つらい。その上ノーマルモード以上では一度でもティウンティウンしたら即終了、全ステージ最初からやり直しなので厳しい。

強いて言うなら、グラフィックの洗礼されてなさ(パチモノっぽさ(いやまさしくパチモノなのだが)、背景と足場の違いが分かりづらいetc)が残念なところだったのだが、続編の30XXではかなりX4~X6くらいの"あの感じ"になるっぽいので、とても楽しみになった。

プロローグがロックマンゼロじゃねーか!

HITMAN

一人でやると割と虚しいなと思った。


小説

愚者のエンドロール

アニメは勿論観ているしこの原作本も多分一度か二度図書館か何処かで読んでいるはずだけど手元にモノがなかったため真偽不明なので一応。
なので内容とかオチとかはとっくに知っているので新たにどうと言うことはないのだけど、改めて英題(?)の「Why didn’t she ask EBA?」はいいなと思った。「本郷の真意を知りたいなら皆に推理なんかさせてないで親友の江波に聞いてもらえばいいのに」。そして何故本郷の考えを再現したいわけではなかったのか。

折木の技術は本郷の真意を解き明かすためではなく、技術が無かった本郷の代替として便利に使われる。(後の巻で描かれることだが)子どもの頃、便利に使われている自分に気がついてしまって傷つき省エネを掲げるに至った折木にとってこの一件は痛恨の失敗だったろうなと思った。
一方で、 同時に様々に描かれる技術がない多数の人たち。技術不足に気付かない無邪気な者、自覚して苦しむ者。諦めから他人に期待する者。諦めていたはずなのにうっかり再び苦しむ者。「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」でとくに描かれるその様はいつまでも胸につかえ続ける。

廃墟の設計者が「中村青~」なのはフフってなった。

さよなら妖精

一口に「日常」と言っても、「日常」とはこういうものだ、というようなことをうまく言葉で説明することはなかなか難しいことのように思う。また自分が「日常」的だと感じるものをたとえば隣にいる人間が必ずしも同じように感じるかは疑問であるし、当然ワールドワイドに共感を得られるはずもない。

異邦人であるマーヤが見出す日本的「日常」の謎・疑問を解き明かすちょっとしたミステリーの連続の中、守屋はそんなマーヤが住むユーゴスラヴィアの世界に近づこうと思うが、結局うまくいくことはない。役割の自覚もそれをこなすための覚悟も無い人間がちょっとした興味やおせっかいで他所の輪の中に飛び込んだところでその行為が何かに結びつくことはない。他人の「日常」を理解することは難しい。

遠い国からやってきた事情ありげな少女と出会って親切にしている内に打ち解けて、不幸でもないが何かに強く惹かれることもない「日常」を送っていた主人公は少しずつ変化していく。そのまま典型的なボーイミーツガールな物語が始まるかと思えば、そんなものは始まらない。ただ、幸福な世界からフクザツな世界を覗き見てしまったばかりに、それをどうにかしたいと願っても現実的にはどうにもできないことを自覚することしかできない。